モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

「自分が犠牲になっている」

自己愛性人格障害者は

自分が犠牲になっている、

自分だけが犠牲になっていると

考える。

 

それは、

自分が被害者としての

立場をとるためというのもあるし、

被害者に対して

「被害者らしさ」を出さないようにする

手段でもある。

 

被害者らしさを出されるというのは、

自分と被害者はまった違う存在だと

思い知ることになる瞬間が生まれる

ということであり、

 

それは自己愛性人格障害者の

危機感を引き出す。

 

そして自己愛性人格障害者が、

相手に対してその人らしさを

感じるときというのは、

 

相手が楽しそうにしていたり、

幸せそうにしていたり、

とにかく自分では感じることの出来ない

感覚を味わっているときだ。

 

そのとき、自己愛性人格障害者は

相手との一体化に失敗しているような

気がするのと同時に、

「お前と私は次元が違う」

といわれているような気分になる。

 

 

なので、相手が楽しそうにしているだけで

腹が立つ。

 

自分とは関係のないところで、

生き生きしているのが許せない。

 

そのとき、

「自分が犠牲になっている」

という立場をとれば、

 

犠牲になっているということは

自分が苦しいということであり、

「その苦しい人間を放っておいて、

自分の楽しみを優先する人間」

に相手を仕立て上げられる。

 

 

さらに言えば、

「自分の犠牲のもとに、

楽しんでいる家族」とすれば、

お前たちが自分らしく過ごしているのは

人を犠牲にしているからだ、

 

この自分が苦しまなければ

お前たちが楽しい時間を過ごせることも

ないのだ、

ということしたいのである。