モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

「家族」に固執するモラハラ加害者

一緒にいるべきだ

協力するべきだ

支えあうべきだ

しっかりするべきだ

 

家族なのだから

 

 

モラハラ加害者が大好きな言葉だ。

 

 

「家族とは、こうあるべき」という

理想の押し付けでもある。

 

「いや、もう放っておいてください。

もう関係ないのだから。

それが一番です」

 

と言っても、

 

「いいや、協力させてくれ。

それが償いだ。

元々は家族じゃないか」

 

という、被害者や弁護士も

あきれ返るほどの

押し付けをしてくる。

 

それを実現できる能力は

モラハラ加害者には勿論なく、

 

「協力します」という宣言は

協力すると「言う」ことで

何かを得たいだけだ。

 

 

同時に、同居していて

被害者たちが

離れないと確信しているときは、

 

自分が被害者の立場をとるために

 

「お前らが面倒くさい」

「夫婦が面倒くさい。

子どもが生まれるのがはやすぎた」

「この家族が苦痛だ」

「お前らのせいで人生色々なものを

犠牲にしてきた」

 

という、

手段にする。

 

 

責任がとれなくても、

恋人になり、

夫(妻)になり、

父(母)になる。

 

そして、

「家族がいるせいで

苦しくて仕方がない」

と訴えながら、

「家族だから支えあい

一緒にいるべきだ」

 

という矛盾を言い続ける。

 

 

それはどちらも

本心ではない。

 

 

モラハラ加害者は、

被害者でいなければならない故、

また離れて生活するということが

考えられない故

そう言うだけである。

 

それは本心だと思っているのは

自己愛性人格障害者

だけだ。

 

このような矛盾は

自己愛性人格障害者と

暮らしていると、

 

とても多くの場面で

見られる。

 

 

全部が「合理化」され、

こういう正当な理由でこうする、

ああいう正当な理由でああした、

と言ったとしても、

 

どれだけ合理化されても

真実ではないのだ。

 

 

だから、

被害者にとっては

腑に落ちないことだらけで

どんどん矛盾が生じてくる。

 

そもそも

「家族だから協力すべき」なのに

協力できていないのは確実に

モラハラ加害者なのであって、

 

家族を壊すのはいつでも

モラハラ加害者のほうである。

 

しかし自己愛性人格障害者は

それにいつまで経っても

気付くことが出来ない。