モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

頭で理解し、心では理解できない

自己愛性人格障害者は、

頭ではよく物事を理解している。

 

むしろ、そうでない人よりも本質を理解していると

言ってもいいくらいだ。

 

しかし本質を理解しているからこそ、

 

自分が道徳的でない行いをするとき、

もっともな言い訳が必要で、

その言い訳を巧妙に準備できる。

 

本質を理解しているからこそ、

これは本気で嫌がるだろうという

言葉を把握し、

その言葉で被害者をなじる。

 

 

被害者が何を嫌がるか、

何であれば強く支配できるかを

即座に判断できる。

 

 

都合の悪い出来事は

心で忘れることができ、

 

都合のいいことに変われば、

頭でしっかり覚えているから思い出すことが

できる。

 

何にどんな責任が発生するかを

よく理解しているから、

責任逃れをする必要がある。

 

 

他人と他人のやりとりも、

自分と全く関係のない世界なら、

何が問題で何が問題でないかを

理解できる。

 

 

が、自分と重なったり

自分が当事者になると、

話がとたんに混乱する。

 

物事が自分に降りかかってくると、

頭だけでなく、

心で判断しないと

いけなくなるからだ。

 

 

防衛機制というフィルタが、

自己愛性人格障害者の認知を捻じ曲げ、

また捻じ曲がった状態で

相手に放りなげるように仕向ける。

 

 

別の世界にいる周りの人間の

「冗談を言い合える関係」を

素晴らしいと言いながら、

 

その誰かが自分と重なっていたり

自分に冗談を投げかけられたり

すると、

 

心が物事を歪曲し、

とたんに

「ばかにしてるのか?」

という認識になることも

ありうる。

 

頭と心で考えていることが

まったく別なのである。

 

だから、

頭では

「殴ったのは自分が悪かった」

といいつつ、

 

「殴ったのは自分が悪いけど

(心で考えれば自分に一割程度

非があるくらいで、お前が

自分の邪魔ばかりするから)、

 

お前は殴られても仕方ない

ことしているよ」

という回答になる。

 

 

加害者にとっては、

自分の予定どおりの時間に

予定通りの日常・

完璧な一日を過ごせる、

 

そしてそれが当然だと

思い込んでいて、

 

誰も翌日にいつ、

何が、どのようにして

起こるか当てることさえ

出来ないのに、

 

加害者はそうは思わない。

 

そして一心同体であるはずの

パートナーが、自分の心やストレスを

分かっていないということ自体も

腹立たしくなってくる。

 

これも、人の考えは

他人には正確に知ることができないと

頭では分かっている。

 

自己愛性人格障害者自身も

自分の心さえ理解していないし、

勿論被害者が何がストレスなのかも

全く理解していない。

 

だがその不可能なことを

当然のようにするべき、と

心では思いこんで、

それを被害者に要求する。

 

自分と違う考えで

あってはならない。

 

自分の予定と違うことをするだけで

ストレスがぐっと上がる。

 

違う考えでいるだけで

ストレスがぐっと上がる。

 

だから行動を制限する。

 

それでも

自分が予定どおりにいかない、

そのストレスをためているのは

被害者だと思い込み、

 

被害者がどれだけ尽くしていても、

被害者が

「自分の考え」

「自分の好み」

「自分の予定」

というものを持つだけで、

 

被害者がストレスの元凶に

なっているのである。