モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

モラハラ加害者とは確実に話し合いにならない

モラハラ加害者と「話し合い」の場を

設けなくてはならない場面になったとき、

 

確実に「話し合い」というものは出来ない。

 

これは被害者が加害者に対して

異常性を感じる場面の一つである。

 

たとえば一般的に考えて、

相手と話し合いが難航するというときは

「片方・両方が意地を張っている」とか、

「折り合いがつかない」とか

そういうレベルだ。

 

この場合どちらも話し合いは必要だと思っていて、

相手の言い分も分からなくはないが、

それよりも自分の要求や訴えたいことが

大きすぎて、どうしても相手の言い分を

飲み込むわけにはいかない状態である。

 

 

一方モラハラ加害者と話し合いをする場というのは、

大抵モラハラ加害者がそれを要求したときか

必要だと感じたときのみだ。

 

被害者が話し合いが必要だと思ったとき、

それを訴えても加害者は大抵話し合いなど

必要ないと考えている。

 

平時はモラハラにてコントロールすればいつも済むからだ。

 

いちいち「話し合い」などといって

対等に自分も相手の意見を聞くことの

必要性はどこにもない。

 

 

しかし、有事は違う。

たとえば被害者が逃げてしまったとか、

自分がモラハラが出来ず不利な状況に

なった場合などは、

モラハラ加害者はすぐ「話し合い」と言う言葉を持ち出す。

 

 

このとき、本当にしたいのは話し合いではなく

要求である。

しかしいつもしている脅迫という形での

要求が効かなくなったから

自分が別居などの不利な状況になっているわけである。

 

ならばそこでは「話し合い」という言葉を使ったほうが

いい、と判断しているからそうしているだけだ。

 

 

だから、話し合いをしようと言いながら、

結局自分の要求(この場合は“戻ってこい”)だけが目立つ。

 

 

 

被害者は

「どういう行為が傷ついたか理解してほしいし

なぜ戻りたくないのか理解してほしい」

のだが、

 

加害者は「戻ってくる」という確約があれば

いくらでも被害者の傷を理解するふりをする。

 

しかし「戻ってきそうにもない」なら

とにかく戻ってくるためにどうアプローチを

するか、ということしか考えない。

 

 

とにかく戻ってくるために「感謝」を述べたほうが

いいのか?

「思い出話をしたほうがいいのか?未来の話?」

「被害者面をしてやはり相手の罪悪感を引っ張り

出してきたほうがいいか?」

「どれだけ酷いことをしているか

分からせてやったほうがいいか?」

 

ということを次々と考え次々と試すため、

 

被害者の「まずは傷を理解してほしい、

なぜ離れたいのか理解してほしい」

という気持ちはそっちのけになる。

 

それを理解したら、

傷を理解したふりだけでなく

「相手を傷つけたのは間違いなく自分のせいで、

自分が悪かった」ということを

本当に認めることになるからだ。

 

 

だから話し合いをしたいと言いながら

「一緒にあんなことしたのも良い思い出だな」と

言ったり、

「お前が戻ってきてくれないと

もう死ぬしかないな」

「大体、急に離れようなんて

人としての常識がなさすぎて・・・・」

 

などと言い始める。

 

結局、「戻ります」という言葉を

引き出すための独り言に過ぎないのである。