モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

モラハラの「死ぬ」という言葉

モラハラ人間と離婚しようが、
モラハラ人間と距離をおこうが、

一旦かかわり合いを持ってしまったら、
モラハラ人間はひたすら
モラハラを続けてくる。



ただ本人もよく言っていたのだが、

モラハラ人間というのはどうしても、
「刹那的」に生きるしかなくて、


その瞬間、その瞬間をやり過ごす
ことしかできないから
(防衛機制にほぼ言動を支配されて
じゃなきゃ生きれないなら
当たり前だけど…。)、


行き当たりばったりすぎて、
長期的な状況の変化を見越して
行動することができない。



だって、
モラハラする相手がいれば、

被害者が経済的負担も
心理的負担も
ぜーんぶ
背負ってくれるので

(情を利用したり、
あるいは背負わなければ
損だという状況を作り上げ
意図的に背負わせる)、


刹那的に生きようと
なにしようと、
加害者が困ることはないから。



モラハラって、そういうもの。



被害者が離れて、
物理的な距離がとっても、

とにかくモラハラ人間は
負担を背負わせてくる。

その負担を背負わないと、
「もう死ぬしかないな」
「人殺しだ」なんて責めたり
してくるけど、

モラハラ人間が死ぬ可能性が
あるとすれば、
自分のモラハラに気づいた
後でしょう。


だって、モラハラ加害者からの
負担がつもり積もって限界を
越えて、

それこそ死に物狂いで
逃げ出した被害者に対して、

本来加害者が背負うべきものを
更に背負わせようとして、

それが出来ないなら
「人殺しだ」なんて
言える人間ですよ。

果たして、
そんな人間が死ぬと思いますか?



…ていうのは精神論の話で、
実際、防衛機制(自分のせいでなく
人のせいにして、心を守る)で
「人殺しだ」なんてことを
言っているだけだから、

防衛機制が働いてる時点で、
自分の心は立派に守られている
わけで、死ぬほどの傷は
ついていないということ。



モラハラ人間が死ぬほど精神的に
追い込まれる時は、

なにかきっかけがあって
防衛機制が働かなくなったとき、
=モラハラができなくなったとき
しかない。


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