モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

被害者の人権を度外視すれば、そういうことが言える

「加害者は、
幼いときに
正しい愛情を
受け損ねている。

そこで完全に
受け止め、正しい愛を
伝えることで、

加害者を満たせば
モラハラ加害者も
少しずつ理解してくれる。

だから被害者も、
加害者のわがままを
全身で受け止め、
愛で包んでほしい」

という意見も
あるかもしれない。


言いたいことは、わかる。



けれども、

「モラハラ加害者も、
少しずつ理解してくれる」

という根拠はどこにあって、

理解してくれた先に、
何があるというのだろうか。


加害者の「わがまま」…
「わがまま」という
言葉で済ませるには、
あまりにも酷なことを
被害者は強いられる。

 

もう、
「すべて受け止めて、
出来る限りの
愛を尽くそう」なんてことは、
被害者はすでに試している。

それを、
人権を無視されながら
愛を尽くすというのは、
人間である限り、
限界がある。

それはおそらく、
無償の愛などと表現される、
母親の愛でも無理な話。



愛はお互いで循環されるから
永遠に与えられるものであって、

循環が止まれば、
愛は絶対に尽きる。

被害者が一方的に
与えなければならない
愛は、

少なくとも上記にある
「正しい愛」ではない。
 


愛を与えて
攻撃をくり返される
時点で、

もう攻撃から
どうやって身を防ぐかに
もう心も体も、

それに力を
注がなければ
壊れてしまう。




もし、それでも
「愛しているなら
最後まで
受け止めるべきだ」

というなら、



それは、
被害者の人権を
無視していることになる。