モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

モラハラ加害者の心理

本物の自分は、そのままでは
生きていけないほどみじめであるから、

みじめではない最強の自分を作り出し、
それが本物の自分であると
思い込む。

みじめであればあるほど、
それを打ち消すための
強い強い自分が
出来上がる。


自分は偉大だ。
自分は正しい。
自分は素晴らしい人間だ。
自分は優しい。


ただ、これだけでは弱い。


自分の偉大さを保ち続けるには、
比較対象が必要だ。



自分は偉大だ。
自分は正しい。
自分は素晴らしい人間だ。
自分は優しい。



(あいつと比べれば)。



ある程度、思い通りになって、
いつまでも
「あいつと比べれば」
自分は尊大だと
思い込めるような相手。

思い込みが思い込みではなく、
本当に自分が偉大になれる、
そんな相手。

ほんものの自分よりも
もっともっとみじめになってくれる、
そんな相手。


「そいつ」が簡単に逃げ出せない
ように、極端に優しくもする。

けれど、それは自分が本当に優しい
人間だからであって、
決して逃げ出さないようにするため、
恩を着せるためなどではない、と
「思い込む」。



「そいつ」が常に惨めな惨めな
自分の更に下に位置するよう、
とにかくそれ以上に価値を下げる。

けれど、それは自分が偉大で
相手がちっぽけである人間だと、
それを知らしめてやらないと
そいつのためにならないから。

決して自分の価値を上げるのは
大変だから、
変わりに相手の価値を
下げてやろうなんて
考えのもとではないと
「思い込む」。



自分が常に正しいということは、
相手は常に間違っている。


けれど、それは相手がとにかく
間違っているということを
指摘してやらないと、
相手のためにならないから。


決して、自分の正当性を保つために
相手のミスを作り出したり、
間違いを誘発させたり、

事実をねじ曲げてまで常に相手が
悪いことにしたいなどという
理由のためではない、
と「思い込む」。

そいつが、
「配偶者」ならよりいい。

家庭の中なら、
そいつを惨めにしても
外に分かりにくい。




そんな配偶者に、大事な家族や
友人がいてはならない。

配偶者が尊敬できるのは、
夫(妻)である自分自身だけでなければ
ならないからだ。

余計なやつが、コントロールを弱めて
もらっては困る。

だから、家族や友人を貶めたり、
罵ったり、会う時間や会うこと
自体を制限したりする。




配偶者は、夫(妻)のために働かなくては
ならない。

配偶者は夫(妻)に手間をかけさせるような
ことをさせてはいけない。

やらなくてもいいことをやって、
恥をかかせたり手間をかけさせるような
ことをさせられれば、
自分の価値が下がるからだ。

だから、やりたくないことは配偶者に
全て押し付け、それをやるのが
当然と考え、

やらない配偶者に対しては強烈に
非難し時には罪悪感を利用し
無理やりやらせる。




配偶者自身が幸せであってはならない。

夫(妻)のために生きているだけの人間が、
自らの幸福のために生きるなど、
許されることではないし、

相対的に自分が不幸であることになる。



だからこそ、さも幸せを願っているかの
ような発言をしたかと思えば、
様々な行動で配偶者を貶め、価値を落とす。



配偶者が自分から離れようとするなど
もってのほかだ。

夫(妻)がその精神状態を保つ(自分が惨めな
存在ではないという心を保つ)ためだけに
必要としている人間なのに、

それがなくなったら面倒だ。

だからこそ、さも愛しているかのように、
被害者にそうさせてしまった
今までの行動が全て間違っていたかのように
猛省し、涙を流し、

あるいは逃げるなんて
卑怯ものだと罪悪感を利用し、脅迫し、
被害者をなんとか引き戻そうとする。



自分が悪者であってはならない。

惨めでずる賢い自分は心の奥の奥のほうに
眠らせ、
本当の自分は愛に溢れた正義の人間で
あるから、
愛と正義に溢れた人間だと知らしめなくては
ならない。

だから、自分の行いのすべては常に
正当化し、
愛がある故の行動だ、と理由付ける。

偉大な自分でいることは生きるための
ギリギリの手段。

惨めな自分は精神的な死を意味する。

だから、今日も相手を惨めにして、
これからもずっと、相手を惨めに
し続けて、

ギリギリの自分を保って生きてゆく。