モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

「私の配偶者はとても優しいが本当にモラハラなのか?」

モラハラ加害者が優しいということは

よく耳にする言葉かもしれない。

 

モラハラ加害者というのは、

非常に声かけをこまめにし、

ひたすら愛を口にし、

「優しすぎる」

 

という印象を植え付けやすい。

 

 

一方、

「DV」とか「モラハラ」というのは、

非常に横暴で、家庭を顧みないような

人間が行なう卑劣な行為だという

根拠のない社会通念のようなものが

ある。

 

 

酒に溺れた自己愛性人格障害者が、

「自分は仕事もちゃんとしているし

理論立てて話すことができる。

だからアルコール依存症ではない」と

訴えるように、

 

「アルコール依存症とは

精神的にもボロボロになって

四六時中酒を飲まないと

やっていられない人間達だ」

 

というイメージだけを元に

主張するのと同じだ。

 

 

 

「DVをやるくらいだから、

そういうことをする人間は

優しい言葉なんてないに決まっている」

 

「ストレスがたまって、

たまたま暴言や暴力をしてしまっている

だけで、いわゆるDV男・モラハラ女とは

違う」

 

「暴力とか暴言はたまにあるけど、

これがDVといわれると

違う気もするし、

DVとかモラハラというほど、

攻撃的ではない」

 

「ヒステリックに叫んだりしない」

 

と、実際に見たこともない

「DV男」

「DV女」

のイメージに、

 

自分の配偶者を照らし合わせて

解釈する人が圧倒的だ。

 

 

世の中に、

「横暴なだけのDV男」

「ヒステリックなだけのモラハラ女」

がいるだけなら、

 

DVもモラハラも、

ここまで被害というのは

広まっていない。

 

暴力も暴言も

されていることは事実なのに、

 

「けど優しいの」

という擁護を被害者自身がしがちである。

 

 

「ただ横暴なだけの人間ではないの」

ということで、

「DV/モラハラ加害者は横暴」という

認識が広まっていることは

容易に窺える。

 

多くの加害者は横暴なだけではない。

 

だから、DVであり、

だから、モラハラなのだ。

 

 

わざわざ、横暴なだけの人間に

引き寄せられる人間はいない。

 

 

そこに優しさがみえるから、

なお被害者は離れられなくなり、

なお加害者を擁護する。

 

 

特に、モラハラによる「洗脳」とは

こういうことなのだと感じる。

 

 

相手が正しいことを言っているような

気がしてしまい、

優しくしてもらうことに恩義を感じ、

自分が苦しい、この生活が辛いと

感じているその苦痛でさえ、

 

「自分が悪いのだから、しょうがない。

優しくしてもらっているのに失礼だ」などと

感情をほったらかしにして

その生活を続けようとする。

 

いずれ優しくするということは、

モラハラ加害者にとって

「ここまでしてやってるのに」

「こんなに我慢してやっているのに」

という武器になっていく。

 

 

被害者はその武器にまんまとひれ伏す。

それこそがモラハラの洗脳であり、

「優しさ」の正体だ。