モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

「酷い部分」だけがモラハラではない

モラハラは、

被害者を攻撃し、それに対して被害者が

「困った。苦しい。辛い」と感じて

それを外に訴えるから

 

「そういう被害者にとって

人格を認めないような

酷いことを言ったり

酷いことをするのがモラハラなのだ」

 

というのが世間一般の認識だ。

 

 

モラハラ被害者の中にも

そういう認識の人は

数多くいる。

 

 

だからこそ、

「モラハラさえ治れば」というのは、

「ひどい部分さえ治れば」

という気持ちの表れであり、

 

それ以外は

普通に愛の言葉を吐いたり、

気を遣うような言葉をかけたりする

被害者に対して

 

「優しいのが彼自身で、

たまにモラハラに

支配されているのだ」

と考えてしまっている人もいる。

 

 

しかし

加害者が「普通に愛の言葉を吐いたり、

気を遣うような言葉をかけたりする」

のは、

 

それ自体も被害者をコントロールする

手立てにすぎない。

 

そもそも

真夜中に起こしたり

罵倒したり怒鳴ったり

人格を貶めるような言い方を

する人間に対して、

 

「愛している」なんてことも

「いつも気にかけている」

「心配している」

なんてことは絶対に言えないはずだ。

 

いつも自分がどんなことをしているか

認識・病識があれば、

 

そんな白々しいことはいえない。

 

なぜ言えるかというと、

「人がどれだけ傷ついているか、

心では分かっていないから、

 

愛しているとでも

お前は酷い人間だとでも

なんとでも言える」からだ。

 

 

だから、「モラハラが完全になくなる」

ということは、

「被害者が唯一の希望にしている

いままでかけていた愛の言葉も

しさも消えてしまう」。

 

 

モラハラしなくて済むようになれば、

優しさで人を操作することも

なくなる。

 

 

もちろん、病識が出てすぐ

モラハラがぱっとなくなるわけ

ではないが。