モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

モラハラ加害者は愛情不足なのか

自己愛性人格障害者は、

養育環境が複雑だった、というふうに

言われている。

 

 

だから愛情が不足しているから

そうなっているだけで、

被害者側から愛情を注げば

きっといい方向に

改善していくはず・・・

 

 

そう信じることが

モラハラに耐える原動力に

なっているものも

いるだろう。

 

 

自己愛性人格障害者は

「愛情不足」というよりは、

「明らかに間違った愛情」を注がれて

育ってきた人間といえる。

 

 

間違った愛情とは、

まさに「モラハラ」そのものだ。

 

モラルハラスメントを起こしても、

自己愛性人格障害者たちは

それを正しいこと、

愛情だと信じている。

 

 

少しでも自分の思い通りに

いかない場合、

相手のせいにする。

 

それ自体も愛情の一環であると

信じ込んでいる。

 

彼らも、

そういう教育者のもとで

育ってきたのだ。

 

その「理不尽さ」に途中から

気付き、

 

親に反旗を翻しても

もう遅い。

 

親と子との距離感で

人間関係の主軸を学んでいくべき

幼少期に、

 

しっかりと

「お前は自分の手足」

「私から離れれば、お前は生きていけない。

自我の芽生えなど、余計なものはなくていい」

 

という考えを染み込ませられていく。

 

 

そしてそれ自体が

愛情であり教育であると

信じて疑わない。

 

愛情不足というよりは、

間違った愛情を

ひたすら叩き込まれていく。

 

 

「過保護」も同じだ。

子どもを自分のアイテムのように

扱い、

子どもの考えを聞くまえにさえぎり

代わりに答え、

子どもの選択の機会を奪い

「まだ子どもだから」自らが全ての

答えを用意してしまう。

 

叱るべきときも

しからない。

 

自分がこどもから嫌われるくらいなら、

ひたすら甘やかしてその機会だけは

避けようとする。

 

「こどもからの評価」だけを気にして、

「第三者からの評価」の目がもてない。

 

制限すべきところを

制限しない。

 

過度の甘やかしは暴力と同じくらいの

虐待行為と

言われている。

 

結局、そういう「甘やかし」だけで育った人間も

他人に同じくらい攻撃的になる。

 

そしてそういう教育を行なってきた

人間こそ、

「自分の教育は間違っていない」と

本気で思っている。

 

本来、父親や母親というものは、

これが愛だ、と一辺倒に

愛を語れないことを知っている。

 

愛しているのは間違いないが、

愛情が足りていないのでは?

これが正しいのか?

と迷いながら父や母という道を

進んでいるほうが、

 

盲目的に自分の教育方法を

信じているより

ずっといいと知っている。

 

 

親にひたすら甘えた時期をすぎれば、

「自分は自分、他人は他人」

と感じる機会を与えられる必要がある。

 

でなければ他人と自分を混同し、

自分の思い通りにならない他人に対して

強烈に苛立ちを覚え、世間に恨みを抱えながら

生活していかなければならない。