モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

モラハラとコンプレックス

日本では、コンプレックスという言葉は

「劣等感」として表せる。

 

 

精神医学の勉強をしていたとき、

教授が

「コンプレックスとは強い劣等感でもあり、

強い優越感でもある」

と言っていたことがあり、

そのときはよく分からなかった。

 

 

まるで、二つが同じもののような

感じに説明していて、

「いや、劣等感と優越感は全然違うでしょう」

と思っていたものだった。

 

ただ、

劣等感があるからこそ優越感というものが

生まれる。

優越感がある瞬間があるなら、

劣等感が生まれる瞬間もある。

 

さらにいうと、

強すぎる優越感は強すぎる劣等感を

隠すために、

そこから目をそらすために生まれる。

 

 

精神医学や心理学では、

劣等感=コンプレックスではない。

 

 

強すぎる優越感もまた、

強すぎる劣等感があるからこそ生まれるのであって、

 

さらに強すぎる優越感だけ生まれてしまっていると、

それだけ(自分がどれだけ優れているかどうか)

にこだわって、

 

根深い劣等感が根本にあることに

まったく目を向けられなくなる。

 

 

そして強い劣等感と強い優越感、

どちらも相対的に物事を捉えたときに

そう感じてしまうのであって、

 

 

相対的にしか物事を

捉えることができないモラハラ加害者とは、

ものすごく関係が深い

ワードでもあるのだ。

 

得にモラハラ加害者は、

妙に自信満々だったり万能感があったり、

かと思えばある場面では

無力感やどうでもいいというような

自暴自棄な面もある。

 

優劣関係なく、

自分は自分である、

という評価を出すことが難しい。

 

 

 

承認欲求が強い割りに、

承認してもらってもそれを

信用することも出来ず、

 

かといって

自分の劣等感を認められないため

自分はすぐれているのだ、

誰よりも正しいのだ、

 

もっとすごいことが出来るのだ

ということを強く主張し続けなければ

ならない。

 

 

自分の中の劣等感を許せなさすぎて、

他人の劣っているところも

指摘せずには済まない。

 

他人が劣っているのであれば、

「自分がそれよりは

優れている」

ということを示す格好の場面だ。

 

だから指摘し、

間違いを改めさせることを

やめられない。

 

 

劣等感が「限りなく酷く劣っている」

というような認識であり、

自己愛性人格障害者にとっては

「恥」なのだ。

 

その自分の恥には敏感であるが、

他人への感情の共感性がないので

他人の失敗や恥や触れられたくないところを

堂々とつつくことができる。

 

つつけば、

「すばらしい優越感」が得られる。

 

 

 

それは自分のほうが正しいということでも、

自分の方が知識がある、優しい、

心が広い、資産がある

などでも、

 

強すぎる劣等感が根本にあると、

そうやって強い優越感に頼って

劣等感から目をそらして生きていくことを

やめられないのだ。

 

自己愛性人格障害とは、

そういう人格障害だ。