モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

モラハラ加害者から逃げるためには

モラハラ加害者から逃げるためには、

とにかく「ここには戻りたくない」という

気持ちにならないといけない。

 

 

そういう気持ちになったとしても

モラハラ加害者の反省や謝罪、

愛してるだなどと言う言葉に絆されて、

 

「もう一度許してもいいかも」、

「惚れた自分の負けだ」

「一人では生きていけない、

やっぱり2人がいい」

 

なんて

思って元に戻ろうとする被害者も

後を絶たない。

 

 

覚悟がある人間でさえそうなのだから、

「もう、ここに帰ってくることは

絶対に無理」

と感じたときに家を出るほうがいい。

 

 

もちろん、加害者は

簡単には逃がさない。

 

加害者が被害者への執着をしないときは、

他にターゲット候補を見つけているとき

くらいだ。

 

それ以外は、

とにかくありとあらゆる方法を使って

被害者とコンタクトを取ろうとする。

 

 

被害者は被害者で、

「放っておくのは人として

どうなのか」なんてことを

考えて、

加害者と連絡をとろうとしたり

 

ちょっとした情報開示ならいいだろうと

軽く手がかりを流してしまうことがある。

 

 

どれだけ酷いことを言われ

酷い罵倒をされても、

 

「このまま連絡を絶つのは、

よくないかも」という

思いを抱えて

 

加害者と接触したりするのだ。

 

 

そして、

加害者を裏切ってしまった、と

言葉に出来ない不安が押し寄せてくる。

 

支配されている世界から離れるということに

対する強烈な不安である。

 

 

被害者は成育環境において

支配されていることに慣れており、

 

決して支配されることで

居心地がいいわけではないが

「支配されていない状況」

というものに対して

強い恐怖を感じることが多い。

 

 

そこに、

モラハラ加害者というのは

「大好きだよ」

「愛しているよ」

「今まで酷いことをして

ごめんね」

 

と、自分は離れる意志はないということを

優しく伝えてきたり、

 

「離れたらどうなるか分かってるな」

「親も巻き込んで、そこまでのことをして

いったい何を考えているんだ!!」

とひとたび言えば、

 

「やっぱり自分には出来ない!」

 

と離れることをさっさと断念する。

 

 

ひたすら我慢していることに慣れているため、

被害者はどれだけ苦しい環境におかれても

自分の感情を優先させるよりも

気を紛らわしたり、

「大丈夫!なんとかなる!」

と思い込んだり、

 

我慢でなんとかしなければと考える。

 

 

モラハラ被害者というのは、

モラハラ被害から逃げるというより、

 

「自分が耐え続ける生活」

から逃げないといけない。

 

「逃げたら反逆罪」のように

扱われたり、

 

「逃げたら反逆罪」のように

感じてもおかしくない関係というのは、

王と奴隷、女王と下僕くらいしかない。

 

夫婦でそう感じたり、

恋人同士の関係でそうなってしまう

ということは、

 

反逆罪にするほうがおかしいのだから。

 

 

だが、

感覚的には「自分が悪いことをしている」

という気分になってしまうのは

仕方がない。

 

 

そういうときのために、

逃げる前に

モラハラ被害は多くの理解者を得ていたほうがいい。

 

モラルハラスメント、というよりは

どれだけ酷い言葉を言われているか、

どれだけ酷いことをされているか、

 

わかりやすい例を挙げるのが得策だ。

 

 

それでも分からないような人間は

被害者自身の中では「役立たず」として

認定していい。

 

有事なのだから。

 

 

分かってくれる人間だけに

協力してもらうほうがいい。

 

 

モラハラは激化してくると

ただの暴言王に成り下がりやすい、

それを利用する。

 

 

逃げている間に

モラハラ加害者に絆されたり

脅迫されたりされやすいので、

 

その間はなるべく第三者の意見を

聞いたり全然違う世界の人間と

話しておいたほうがいい。

 

 

出来るだけ多くの人に相談・話していると、

「また戻ったら結局呆れられるかも」

と感じるきっかけになる。

 

 

最初はそんな外力を利用してもいい。

 

そうでもしないと、

被害者は支配から逃れる苦しさで、

簡単に加害者の元に

戻ることを考えてしまう。

 

「我慢すればいい」は禁物だ。

 

 

「支配から逃れる辛さ・苦しさ」は

被害者にとって加害者からの

暴力・暴言よりも精神的に

混乱を招くことがあるが、

 

必ず終わりがくる。