モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

モラハラ加害者の反動形成とは

反動形成の例は、とてもよく知られている。

 

「好きだから、いじわるする」

というのも典型例だ。

 

 

好きだから、優しくする人間と

好きだから、いじわるするという人間は

勿論どちらもいて、

 

 

それに対して

「なんでそうなってしまうんだろう?

気持ちとして理解できないなあ」

という人間はいるだろうが、

 

「いや、好きな相手に意地悪する

なんてそんな不合理な人間がいるはずがない、

意味もわからない、何かの間違いだろう」

とそれ自体を理解できない人間はいないだろう。

 

 

一般的に、

いじわるすれば嫌われるのは当たり前だから

好きな相手に意地悪をするというのは

勿論合理的ではない。

 

だが、

好きな相手に好きという気持ちを

そのまま表現できない人間もいる。

 

それも

「自分の心が傷つきすぎるのを

守るため」だ。

 

自分が相手を好き、と知られてしまうのは、

時としてそれを恥と感じる人間もいたりする。

 

それを隠すために、

相手を攻撃したりする。

 

 

これとは逆に、

ライバルにものすごく強い嫉妬心や

嫌いだという感情を抱いて

いても、

それを押し殺して、

 

「賞賛に値する」という態度をとったり

言葉で示したりする人間もいる。

 

相手を攻撃したいほど、

憎いほど意識していると

知られないために、である。

 

 

その場合は、

やたらとおべっかを使うような印象だったり、

言葉面だけは褒めているものの

本心はそう思ってはいなさそうだったりして、

意外とすぐにバレてしまう。 

 

 

どちらも、

「好きな感情」や「憎しみ」を

心のなかでひた隠しにすることから始まる。

 

どちらの感情を抱いている自分も、

ありたい自分ではないからだ。

 

ひた隠しというのは、

「自分自身でも確認できないくらいに

押し込める」ということだ。

 

その感情を押し込め、

それとは正反対の態度をとってしまう。

 

そのことにより、

その「実は好きだ」とか、

「実は相手を憎んでいる」とか

そういう感情自体がまるでなかったかのように 

振る舞う。

 

ただ、

たとえば本当は憎いと思っている子供を

溺愛しているように感じても、

部分部分でおかしなところがあったり、

ただ単に甘やかして放任しているような

不自然さがあったり、

 

嫌いだ嫌いだといいながら

その相手によっていくような行動を

見せるため、

 

周りはなんとなく気付く。

 

反動形成は

「いつもいじわるしているけど

きっと好きなんだろうね」とか

「愛してる愛してるというけど

ただ甘やかしてるだけじゃない?」

と周りに言われる

のと同じで、

 

いじわるな割りに嫌いとはまた違った

感情を抱いているのではないか?とか

愛している割に必要なときも

しかりつけもしないではないか?

という場面を見せることが多いのだ。

 

 

 

だから、

普段から相手を愛している、

素晴らしい人間だと思っているかのような

発言を何度繰り返していても、

実際は扱いが粗雑だったり、

 

子どもに対しても猫かわいがりのように

甘やかし、愛情さえあればいいのだと言わんばかりに

教育に対して具体的に考えようとしない

場合もある。

 

モラハラ加害者が

極度にやさしく感じたりするのは、

そもそもの攻撃性を隠すために

必要な儀式のようなものでしかなく、

 

それはモラハラ加害者の思いやりの心で

やっているわけではなく、

衝動的な感情を隠すために

自然とやってしまうものである。