モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

理論的なモラハラ加害者は一人もいない

モラハラ加害者は、
理論的「っぽく」話すことが
得意である。

まるで「こういう場合なら
誰もがこう思うだろう」
ということを
冷静に話し、

それで時折被害者も騙され、
第三者も納得させられる。



だからこそ、
被害者は被害者自身が
悪いのかもと考えさせられるし、

第三者は
「お相手のかたが問題なのだ」
と認識することが多い。



だが、
問題は「こういう場合なら
誰もがこう思うだろう」
という言葉自体は
的を得ていることが
多いのだが、

大抵は「こういう場合」という
例えが間違っていることだ。



たとえば
「急に配偶者がこどもを置いて出ていった」
のは誰でも驚くし普通はショックを
受ける、

それはその話を聞いている側だったりが
「急に配偶者が
いなくなった」と言われれば、

ああわざわざこう言うということは
想定外のことが起こったのだな、
出ていくとは思っていなかったのだな、
と想像するからである。

 

ところが
モラハラ加害者になると、
暴言暴力をして「目障りだ、
お前だけ出ていけ」と自分から
言ったとしても、

実際に被害者が出ていくと
今度は確実に
「急にこどもを置いて出ていった」
と騒ぎ出す。

被害者と連絡がとれれば、
「こどもを置いて出ていった」
ことを強調する。


当たり前だがその言葉は、
出ていった相手を
貶めたいだけではない。



「このままならお前は
こどもを捨てて出ていった
最低の人間だ(だから
戻ってこい)」
という態度を必ずとる。

なぜならこどもが欲しい欲しくないは
関係がない。

こどもを使って、被害者を
取り戻すほうが先なのである。


「自分が出ていけと責め立てた、
だから出ていった」
という理論的な答えにならない。

そういう答えを提示するときは、
そういう答えを提示しないと
被害者が戻ってこないと
判断したときである。


「そりゃあ、喧嘩の延長で言っただけだから…。
まさか本当に出ていくとは思わないじゃない!」
という言葉をモラハラ加害者が言ったとする。


被害者は、
「まぁ、そうだな、
確かに自分も真に受けすぎたのか?
けど、あまりにもひどい言い方だったから、
絶対に許せないんだけど…。
本当に出ていかせるつもりで言ったんじゃ
なかったんだ」
と真に受けたとする。



一度目のやりとりでは、
これでも違和感はないかもしれない。

だが、モラハラ加害者は、
この手法を何度でも繰り返す。

暴言で被害者が家にいられないと感じ
出ていけば、
戻ってくるまで罵倒と謝罪、
そしてなにより

「そういうつもりではなかった」

という言葉を繰り返す。


「あそこまで言えば、
誰でも出ていき、誰でも逃げ出す」
という理論を持ってくることが
出来ない。

だが、心の奥底では
その理論を知っている。


だから、
第三者に言うときは、
「あそこまで言えば」の
部分を消しとり、


そもそも自分が怒鳴ったとか
出ていけと言ったとか
そういう部分は隠し通し、

どうしても隠し通せないときだけ
「そりゃちょっとした言い合いはあったけど、
相手とこどものためを思っていった
ことだったし」


と自分にとって都合のいい
例えばなしや理論や社会通念をもってくる。


「世の中夫婦喧嘩なんて山ほどあるのに、
まさか、急に出ていくなんて…。」

「あぁ、もしかして他に男(女)がいるの?
そういうやつだもんね、こども捨てて
不倫できるんだね」

と、「自分が悪いわけではない」という
よくわからない理論は
いくらでも述べられるが、

モラハラ加害者が行う合理化は
事実に基づいているわけではないので、
既に理論とは言えないのである。