モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

モラハラは病気なのか?

モラハラは病気、
というよりは症状といったほうが
早いのではないか。



モラハラを引き起こされるとされる
自己愛性人格障害は、

「健常状態と精神疾患の狭間
(境界性人格障害と隣り合わせ?)」
であり

一応社会生活は
無理矢理でも成り立たせるようだが、

昔見た精神障害の教科書には
しっかり記載されていた。




モラハラ被害者は、
必ずといっていいほど

「モラハラさえなければ
いい人なのに」

「自分がどれだけ酷いことを
しているかハッと気づいて、
反省して、治ってくれたら
いいのに」

と考えたりするものだが、



「いい人モード」をコントロール
するために使うのもモラハラに
含まれているだけであって、

モラハラに万が一気づいたからと
いっていい人だけがのこる
わけではないし、


モラハラに気づいたからといって、

モラハラ加害者が急に
「自分はなんて酷いことを
していたんだ。
もう絶対しないぞ!!」

…なんてことにはならない。



心理防衛が働いて
勝手に虐待したくなって、
相手のせいだと思い込んで
そうしていたものを、


「自分の心持ちで
防げるよ!」


なんて言っていること自体、
まだ自己愛性人格障害に
かなり引っ張られている
証拠。




本当の自分がどれだけ弱いのか、
どれだけ実行能力が低いのかを
そこで理解していれば、

「治る」なんてことは
安易に言えるはずがない。



統合失調症などの精神疾患が、
病識が出てくるかこないかが
改善の分かれ目になっているのと
同じで、

病識がでてくるというのは、
改善するまでのただの途中経過で
あって、

「モラハラに気づいた=
改善」

というわけではない。


気づく(病識が出る)可能性も
相当低く、一生治らないのが
ほとんど当たり前であるのに、

精神的な成長が
こどもの頃から止まって
しまっている人間が、


モラハラ欲がほとんど
出てこないくらいに、
心を強くするまでには
相当な年月が
必要なのではないか。


それまではモラハラを
続けてしまう可能性も
勿論あり、

格好の標的(配偶者)も
そばにいれば、

心を強くするより
モラハラして責任逃れを
し続けたほうが、

心が痛みすぎなくて済む。



被害者は、
モラハラをうけて
「おかしくなりそう」
だと思うが、

加害者はまさに
心を守りすぎて、
「おかしくなっている」
場所に立たされている。


その位置から、
加害者がモラハラをしなくても
いいような位置まで
いくということは、


被害者には想像もつかないような、
相当な苦しみがあるかと
思う。

異常だった自分も、
認めなくてはいけないからだ。

そもそも心が弱く、
自分に少しでも落ち度があると
いうことを認められないからこそ
モラハラをしてしまう加害者が、

「自分の心理構造は
異常だった」

なんて気づけば、

それこそ
一気に精神は追いやられてしまう。



自己愛性人格障害というものを
治すには、

相当な労力と時間と、
加害者の痛みが必要であって、

気づけばサッサと治るようなものでも、
「モラハラが治ればいいひと」
という実態があるわけでもない。