モラハラブログ~モラルハラスメントな人々~

自己愛性人格障害者、モラハラについて語っていきます

被害者がいなくなると何が問題なのか

モラハラ加害者にとって、

モラハラ被害者というのは、

「愛して愛してやまないから去ってほしくない相手」

・・・では勿論ない。

 

しかしモラハラ加害者は、

とにかく被害者の心や体が

モラハラ加害者から離れていくことを許容できない。

 

ではなぜ、モラハラ被害者に執着してしまうのか。

 

 

モラハラ加害者にとって、

被害者は「鏡」である。

 

 

モラハラ加害者が自己愛を肥大させた、

「素晴らしい自分」がみえる。

 

なぜなら目の前にいる相手は、

自分の「悪でみじめな部分」を引き受けて

くれている自分自身に見える。

 

 

被害者がその部分を引き受けてくれているからこそ、

相手はものすごくあくどい惨めな姿にみえ、

自分自身は

 

「それに比べると強い」

「それに比べると素晴らしい」

「それに比べると優しい」

 

自分でいられる。

 

すばらしい自分というものが、

はっきり見えるのだ。

 

 

ところがその鏡がなくなることすなわち、

 

「みっともない自分を引き受けてくれる人間が

いなくなる」、

そして「そのみっともないやつになった相手と

比較して自分を保っていたのに、

それが出来なくなる」。

=自分自身がなくなってしまう。

 

 

つまり被害者がいなくなることが寂しいとか

そういうことではない。

 

もちろんそれが辛いのだということを

さも真実のように

口に出したり態度に出したりするが、

 

それはタテマエである。

 

自己愛性人格障害者は

自己主張が強いようにみられたり

自我を強く持っているかのように

みられるが、

 

まず自我は確立していない。

 

 

ただでさえぼやっとした自己像を持っている

のに、

鏡がなくなってしまったら

余計にどうやって自分というものを確かめれば

いいのか、

 

その手段を持ち合わせていないのである。

 

鏡がなくなることすなわち、

自分という像が崩れ去ってしまう

危機なのだ。

 

 

けれどもどちらにしろ、

被害者という完全に鏡がいなくなっても、

あらゆる手段でそこらへんの人間にも

簡易的な鏡になってもらうことは

出来る。

 

つまり、交際していなくても

適度にモラハラできる相手に

モラハラをしながら生きていく。

 

そうやって自己愛性人格障害者は

精神的に生き延びていくのだ。

 

もちろん被害者が完全に逃げ延びなければ、

鏡をなんとかいつまでも利用するために

ひたすら執着し、

拒否すればその鏡を壊すくらいの

恨みを抱くこともある。